アラフィフランド

アラフィフの日々は色々忙しい。皆さんのお知恵拝借して楽しく暮らしてます。

父の命日に思うこと

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2年前の7月27日に父が亡くなりました。

享年74歳でした。

病名は大動脈解離、ちょうど2か月の入院の末でした。

 

 

 幼い時の父との思い出

私がまだ4歳か5歳だった頃、バイクの前に乗せてくれ、

私の頭に父があごをトントンとのせ、

ひげがチクチクしていたことを覚えています。

その時父は、27歳。とても若い時にお父さんになった父でした。

父のことは、父ちゃんと呼んでいました。

 

 小学生での父との思い出

まだ私は一人っ子で4年生まで兄弟はいなく、父に可愛がられて

いました。私も父が大好きで、団地の2階からでも父の車のエンジン音が響いて帰ってくるのがわかりました。

父の帰りを楽しみにしている子供でした。

わたしが2年生位の時、飛行機ブーンとしてくれたときに

いたずら心でチ〇〇〇蹴ってごめんなさい💦

 何かにつけ怒られ出した日々

仕事の関係で小学校4年生でこちらに引っ越して来たのですが

その頃から結婚して実家を出るまで毎日のように怒られ出し、食事の時は泣きながらご飯を食べていました。

 

父と同じ席につかなくては、いけないので3度の食事が苦痛になりました。

暴力も振るわれてちょっとのことで激高して殴られたりしました。

 

 すれ違いの日々

あんなに大好きだった父とも距離ができ

もともと無口だった父とも会話がなくなりました。

 

今思えばグウで頭を殴られるなんてひどい話ですが当時はそれが当たり前だと思っていました。

でも実家には私の居場所はなくそれもあって私は早くに結婚しました。

 

結婚式の朝、私が出かける時なにか言ってもらいたかったのか父は、私が乗る車まで追いかけて来ました。

私はただ「いって来ます」とだけ言いました。

 父が病気になった

60才になる頃、父はパーキンソン病になりました。

母から電話でそう告げられた時その病気がどんなものかも知らず、母を慰めもしませんでした。

年に数回しか会わない父には、体調はどうか?と聞くぐらいで父の苦しみに寄り添ってあげられませんでした。

 

 弱っていく父

父が亡くなる半年ぐらい前からいよいよ父も弱々しく、近いうちには介護が必要なかんじ

になってきました。腰は折れ曲がり杖をつき長い距離は歩けなくなりました。

 

週に一度は1時間かけ実家に遊びに行くようになりました。

 

 最期の数か月

私たちはやっと親子であり親友になれました。

父との二人きりの時間がとれたからでした。

母に怒られるので内緒でカラオケに行ったこともありました。

 

父は理数系なのに俳句がとてもうまいことを知りました。

父が入院中の2ヶ月間ほぼ毎日お見舞いにいきました。

父の枕に頭を並べスマホを見ながら歌を歌ったりもしました。

 

 別れとその後

父は入院中すぐに誤嚥性肺炎になり日に日に弱っていきました。

最期はなにかの細菌に侵されたのか高熱と闘い亡くなってしまいました。

 

最期のほうになにか私に言っていたのに

耳を近づけ聞いてあげられなかったのが

心のこりです。

 

父が亡くなった時、お葬式の時私は一滴も涙が出ませんでした。

棺も前でわんわん大声で泣く弟が少し羨ましかったです。

 

でも眠れない日々が続き鏡を見ると一気に老け込んだ

わたしがいました。少ししてやっと一人の時泣くことができました。

 そして今

父のことを思い出す時間が少なくなりました。ずっとずっと暗いトンネルから抜けられないのかと思っていました。

 

最後の父との穏やかな思い出ができて本当に良かったと思っています。

父は昔のことを気にしていたようなので

優しくして欲しかったけどもう許してるよって伝えてあげればよかったです。

 

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